外観は実に控えめです

海外を見回しても量産の4バルブは、フォード・エスコートRS1800のみです。


かのフェラーリでさえ、市販モデルは2バルブがスタンダードであり、4バルブはレーシングカーに限られていました。


もちろん、こんなアンティークな車は中古車の情報を探しても、もう見つかりません。


ましてや4バルブDOHC搭載の4ドアセダンなどというのは、世界広しといえどもGTlRしか存在しない。


ミッションは、ブルーバード510型で定評のあるポルシェ・タイプを採用した。


だが、高性能エンジンのポテンシャルを完全に引き出すため5速フルシンクロとし、標準ギアのほかに2種類のオプションレシオが用意されていました。


当然ながら、これらはいずれもレースを意識したクロスレシオです。


サスペンションも、510型やノーマルのスカイライン2000GTと同じ前輪Uマクファーソン・ストラット/コイル、後輪"セミトレーリングアーム/コイルの4輪独立懸架だが、より強化されています。


外観は実に控えめで、まさに"羊の皮をかぶった狼"そのものです。


後に登場するハードトップのようにオーバーフェンダーがないのでノーマルの2000GTと見分けられる点はきわめて少ない。


わずかにリヤフェンダーのサーフィンラインが断ち切られているだけです。


だが、ボディサイドにはS54B型(GTlB)の伝統を受け継ぐ赤いエンブレムが誇らしげに付けられていました。


4ドアセダンといえどもGT-Rの高性能ぶりは群を抜いていました。


1120㎏の重いボディを軽々と200㎞/hの世界へ誘い、ゼロヨン加速も5名乗車で16.1秒をマークする。


黄金の60年代が生んだ不世出の4ドアセダン、それがスカイラインGTlRです。

最大の魅力はここにある

ミツオカ 中古車の魅力が外見にあるように、GT-Rの最大の魅力はそのエンジンにあります。


ボンネットの中には、わが国初の本格的プロトタイプ・レーシングカー、プリンス(日産)R380の直系であるS20型4バルブDOHCストレート6が収められています。


このエンジンはR380に搭載されたGR18型に比べ、ディチューンされてはいるが、それでも160PS/7000rPmと凄まじいパワーを発生した。


レーシング・エンジンに限りなく近いS20型は、非常に贅沢な設計でした。


シリンダー・ブロックには一般市飯車としては異例のサイド・ボルト方式を採用し、シリンダー・ヘッドやピストンには、軽量かつ冷却効率にすぐれたアルミ合金鋳物を使用。


さらにギア+ダブル・ローラーチェーン駆動のカムシャフト、クロスフローV型配置、ー気筒あたり4個のバルブをもつ24バルブシステム、7メインベアリングなど、採算を度外視した高級メカを惜しげもなく投入しています。


また、高回転、高出力を可能にするため、ステンレス製マニホールド、フルトランジスタ・イグナイターを採用し、キャブも3連のソレックス40PHHが標準で装備されています。


この当時、わが国で4バルブ配置をもつクルマは1台もなかったのです。

わたしたちの国で・・・

わたしたちの国で、条件を満たす中古車といえば1969年(昭和44年)2月にデビューしたスカイライン2000GTlRでしょう。


GTlRは、レースで勝つために生まれてきたS54B型スカイラインGTの後継モデルです。


周知の如くS54B型は、スカイライン1500のボディにプリンス・グロリア用のG7型ストレート6を押し込み、これにトリプル・ウェーバーを装着したスペシャル・バージョンで、その当時"羊の皮をかぶった狼"といわれていました。


このS54B型をはるかに凌ぐ超高性能4ドアセダン、それがGTIRです。

高度な技術

ミニクーパーSは、67年からはマークⅡに、また、69年からはマークⅢへと発展していったが、世界のミニ・ファンの多くは、ドアのヒンジが、ボディの外側にはり出したこの初期のモデルを限りなく愛しています。


クルマに関して長い歴史と伝統を誇るヨーロッパには、レーシングカーで得た高度な技術をそっくりそのまま市販車にフィードバックした純潔のサラブレッドが存在する。


その数はきわめて少ないが、いずれも最高のロード・ゴーイングカーとして熱い支持を受け、後々までマニア垂嘆の的となっています。

話は変わりますが、ミツオカ 中古車マニアの人に出会いました^^

優勝記録

こんばんは。今日も中古車情報に役立ちそうな情報を!


レース、ラリーでの活躍も目覚しく、すでにミニ・クーパーの時代(62年)に、チューリップ・ラリー、スウェディッシュ・ラリー、ドイツ・ラリーに総合優勝、ヨーロッパ・ラリー選手権の得点では、メルセデス・ベンツと同点となっているし、この年"地球上の、あらゆる場所のあらゆる種類の"モーター・スポーツで153回もの優勝を記録しているのだ。


ミニ・クーパーSの成果についてはとてもここでは書ききれない。


64年は、ホプカークがモンテ・カルロ・ラリーで続合優勝、この年、国際ラリーに17回優勝、その他、国際級のレースでの優勝は116回にのぼり、この年の末には、ミニ・クーパーSはまさに向うところ敵なしの状態となったのです。


モンテ・カルロ・ラリーにはその後、65年(マキネン)67年(アルトーネン)が総合優勝をとげ、モンテに強にミニとの評判を得た。

ミニの特徴

ミニのひとつの特徴はサスペンションです。


初期のミニはすべて、ラバー・コーンを使ったユニークな全輪独立の懸架(64年10月からは、ハイドロ・ラスティック方式に変わった)で、適度に硬く、しかも、乗り心地りはそこなわれず、そしてコンパクトにまとまって、車内スペースの確保と、ハード走行に向いていました。


三丁クーパーsは単によく走るだけではなく、耐久性についても強化され、また、ダンロップSP創ラジアル・タイアが標準でつくほかに、"走り"のためのオプションが数多く用意されました。


25リッターになった燃料タンクは同じものがタンデムにつき合計50リッターにすることもできました。


オイル・クーラー、サンプ・ガードなどもつけることができました。


そして、話はそれますが、ミツオカ 中古車が魅力的ですv

敗戦と懲罰的政策

わたしたちの国の軍国主義の復活を不可能とするため、軍事的色彩の強い工業の余剰生産力の賠償取立を決定しました。


敗戦とこの懲罰的政策のため経済は混乱し、生産は縮小し、失業と生活の窮迫がはなはだしく、これは占領政策そのものの遂行を困難とするにいたりました。


加えてアメリカとソ連の対立が表面化した。


そのため占領政策は、わたしたちの国の非軍事化を手直しし、反共陣営の一員として経済を復興させるという第二期、ストライク・ドレーパー的段階に入りました。


この段階の占領政策は、経済危機打開と自立化促進で、占領軍がガリオア資金による物的援助、貿易の再開・拡大がはかられ、わたしたちの国に許すべき工業能力の枠を決定し、経済自立のための産業規模を戦前(昭和5~9年)の生活水準におき、軍需施設以外の賠償生産施設の撤去を緩和したことです。


それでは今日はこのへんで。。。


ちょっと情報収集がてら中古車検索でもしてこようと思います(*・ω・)ノ

占領政策の展開

今ではミツオカ 中古車も手に入る日本の自動車工業は、比較的その設備を温存させたが、ただちに平和産業として生産を再開することはできませんでした。


今度は、旧陸軍にかわって占領軍が、わたしたちの国に絶対的な力をもち、占領政策、それに追随したわたしたちの国の経済政策が、自動車工業の進路を決定しました。


わたしたちの国に対する占領政策は、ポーレー、ストライク・ドレーパー、ドッヂ、ダレスの4段階にわたって展開されました。


ポーレー的段階の占領政策は、ポツダム宣言から発するわたしたちの国の非軍事化を基本方針とし、財閥の解体、貿易の遮断、財界指導者の大量追放、農地改革、雇用に関する改革が行われました。

自動車工業とトラック

中古車情報でも以前見ましたが、わたしたちの国の自動車工業の機械設備そのものは比較的温存されていたことに注意しなければなりません。


わたしたちの国工業の空襲、艦砲射撃の奎目は、エネルギー、機械部が大きかったが、自動車工業にいたっては、トラックの生産を昭和16年の月産4400台から被害直前には設備の外地移駐、疎開などで月産3600台へと18%を、さらに空襲などによって2企業、2工場を焼失して、結局、月産750台へと20・8%を減少させただけでした。


したがって、自動車工業は、昭和11年代に輸入されたアメリカ、ドイツの自動車工業の機設備を改良・発明する時間的余裕もなくそのまま温存させていたことになる。


それはアメリカの戦略爆撃の第一目標が都市、石油精製、航空機、船舶、鉄道に集中したことに原因があります。


ともかくわたしたちの国の自動車工業はトラックに関するかぎり、原材料さえあればある程度量産可能な状態でした。

敗戦直後の自動車工業の状態

わたしたちの国の自動車工業は、航空機、船舶最優先策によってその生産能力を縮小し、減少傾向をたどっていました。


そして鉄道中心の交通体系のもとで未発達かつ貧弱であった道路上を軍民合計4万3000台の可動トラックが無修理、部品不足のまま、すりへったタイヤをつけて各種の代用燃料を用い走りまわっていたにすぎない。


とく罠間輸送にいたっては、乏しい自動車を軍に徴用されたため、馬車、荷車、自転車、リヤカー依存の昭和前期の交通体系に逆もどりしていました。


中古車情報によりますと、昭和20年未の通運棄用所有運難具をみると、トラック5808台(うち普通車3922台、小型車2838台、特殊車248台)に対し牛、馬車4566台、荷車、リヤカーは実に芳4875台に達していたそうです。