整理計画
ヂーゼル自動車もまた新たに資本金1億5000万円をもって商号いすづ自動車と改称する整理計画を作成しつつあったのです。
その最大の被害者が三菱重工業であることはいうまでもありません。
三菱もまた自動車メーカーであった歴史を有します。
三菱は、昭和22年産3000台のトラック、バス工場を蒲田区下丸子に建設したが、日華事変の勃発とともに国策にそって戦車生産工場に転換した。
さらに中古車情報によると昭和16年には川崎市鹿島田に自動車製造工場を完成させ(現川崎自動車製作所)、南満州鉄道会社用のガソリン、ディーゼルの大型バス、「ふそう」を生産したが、昭和19年に入るとその生産を中止し、小型艦艇用の高速ディーゼル機関の生産に主力を移したのでした。